不登校になってからのまわりの環境|元不登校が語る

      2016/10/28

gak72_kawanonagare_tp_v

どうも、とととです。

僕は中学生のころ不登校でした。

関連記事

僕が不登校になった理由

「不登校として生きてゆく。」と決めた僕が約1年していたこと

元不登校が不登校に向けて「学校に行け!」と言わない理由

不登校になるとやっぱりまわりの環境ってガラっと変わるんですよ。特に人間関係が。

今回はそのあたりについて語っていこうと思います。

 

僕の両親は当時共働きで、基本的に日中誰も家にはいなかったんです。

だから僕が学校に行こうとしないときは親は僕をなんとかして説得しようと頑張るんですが、出勤の時間がきてしまい諦めることが多かったですね。かなりひどい言葉を浴びせられた記憶があります。まあ時間と学校に行かせなきゃっていう義務感に板挟み状態ですから、今思うと仕方なかったのかもしれませんね。

そんなこんなで僕が休みまくっているとさすがにキレられました。さんざん当たり散らした挙句、ついには泣き出してしまう始末。これぞカオスです。

でもそんな姿の親を見ても僕は学校に行きたくなかった。

父親に出てけと言われたり、母親には殴られるわでもうひどいものでした。

そして、それがしばらく続いたある日、親は僕に愛想を尽かせました。

何も言わなくなったんです。

朝も僕を引っぺがして学校に行かせようとはせず、将来に関する話は僕の前では一切しなくなりました。まあ僕が寝付いた後二人で色々話してるのは聞こえてましたけどね。それだって、施設に入れるだの遠い親戚に預けるだのひどい話しか出ていませんでした。

内心僕は「わーい!やったー!」なんですが反面なにか虚しさも感じていましたね。

それからまたしばらくして僕は例の教育センターでカウンセリングを受けるようになり、それと並行して親もカウンセリングを受けるようになりました。

参照:「不登校として生きてゆく。」と決めた僕が約1年していたこと

そのせいか、いや、間違いなくそのせいでしょう、また親に心境の変化がありました。

やたら優しくなったんです。驚くくらいに。もうしばらく自由にしなさい、食べたいものあったら言ってねとか。

カウンセラーすげぇの一言ですね(笑)

それからは僕が勝手に回復していったのでそれを優しく見守ってくれていました。

 

 

祖父・祖父母

父の両親はすでに亡くなっていたのですが、母の両親つまり僕のおじいちゃんとおばあちゃんはまだ元気でした。ちなみに今も元気です。

まあこのおじいちゃんが厄介でしてね、その昔は税理関係で名をはせた凄腕ビジネスマンだったらしくそれに反して学歴コンプレックスを抱えているお方なんですよ。

そりゃ僕のこと知ったら口出しますよね。

僕の不登校を最初はおじいちゃんには隠していたんですけど、そのうちバレて毎月2回、うちに僕の様子を見に(説得しに)来るようになっちゃたんです。(ちなみに祖父母は埼玉で僕ら家族は東京住まいです)

もう来るたびに学校行ってくれと泣かれてしまって…

僕もそれを見ていたたまれない気持ちになるはなるんですけど、それでも行きたくないから祖父の気持ちには答えられない。一種のストレスになっていたんだと思います、毎回その日は頭痛がしてましたね。

それも最終的に僕が回復した時は笑顔になってましたから、きっと安心させられたんでしょうね。

 

友達

友人関係はどうだったかというと、学校にいたころの友人とは完全に縁を切ってました。

代わりに教育センターで知り合った同じような境遇の人と仲良くしてました。(いま連絡とってないけど元気にしてるかな…)

それに加え、僕はブログをやっていたので多くの人と知り合うことができました。

同じようなブログをやってる人だけのコミュニティに入って割と毎日楽しかったですね。

ただ、ひとつ、オンラインゲームの中の人たちとは仲良くなれませんでした。

なぜ?そりゃ日がな一日プレイしていたら不思議がられますから。

だんだん人が離れていって孤立するんですよね。

それを除けば友人には困らなかったです。

 

先生

僕の場合、先生が嫌で学校に行きたくなかった部分があるので、担任からの電話がきても無視でした。

それでもたまにどうしても行かなきゃいけない日に会ったんですけど、口を開けば「はやく学校に戻れよ」の一点張り。もう、うんざりでした。

当時、僕の通っていた中学校は全校生徒約1000人、一学年300人ほど。先生の仕事は山積みなのは一目瞭然。担任も不登校一人に時間を割きたくなかったんでしょうね。そして、頑張ることが正義という学校ですもん。そりゃテキトーな扱いになりますよね。

でも、中2になった時その風潮をつくっていた校長が変わったんです。

この後任の校長がすごい人格者でして。

そのおかげで校内に新しい考えを持った先生が現れたりして、僕が戻る頃にはそこそこ生きやすい環境になってたような気がします。好きな先生もできましたし、話すのにも抵抗はなくなりました。

 

環境って重要だけど

僕の不登校にはいくつか節目があって、それにはやっぱりいろんな人が関わっています。

親やおじいちゃん、友人に関して言えば教育センターが。

先生との関係で言えば校長の交代が。

初めのままの環境だったら絶対学校に復帰なんてできませんでした。

ただ、一つ言わせてもらうと僕の場合はタイミングがよかった。

教育センターに行ったのもほどほどに家に籠るのに飽きたころだったし、校長が変わったのも新しい考えを持った先生が出てきたのも僕が不登校になってから。

これは全部偶然とか、運とか、流れとかそういう類のもの。僕はラッキーだった。下手をしたらもっと長く不登校をしていたかもしれない。

だから注意してもらいたい。

流れを無視して元に戻そうとしないことを。

これは親にも子にも言える。慌てず、落ち着いて生きましょうよ。

関連記事

 - 不登校 , ,



Copyright© とっとと世界、変えてみない? , 2016 All Rights Reserved.

WordPress Theme "Stinger5-Cheetah"