同級生に子供が生まれました。20歳大学生の若年出産とそれに対する考え
この記事は2016年12月に僕の同級生が出産したということに対する、僕個人の考えを書いたものです。
なので世間一般的な若年出産に対する考えを書いているというわけではありません。
あくまで20歳そこらの人はこんなことを考えているんだな、とかそんな感じです。
ちなみに出産した本人のスペックを身バレしない程度に少し書いておくと、
- 20歳女性
- 僕の高校時代の同級生
- 高校卒業後、すぐに籍を入れた
- 大学には通っていない
- 2016年12月に出産
こんな感じ。
(※僕の子供ではないです。卒業後会ってないので。あとそういう関係になった覚えは全くないので。)
まず言うべきこと
おめでとう。
色々僕も考えることはあるけれど、どの考えを巡らせても最終的な終着点はこの一言に尽きる。
これを言えないような奴は君を話題にする資格はない。それくらい重要なことだ。
もう出産した事後ということもあるけど、まず言うべきことは「おめでとう」だ。
世間一般はどう思っているか?
批判する奴は少なくないはずだ。
やれ「安定した生活」だの「良いパートナー」だの「社会一般に対する外面」だの。
日本は未だ不安定と混沌に塗れているわけで、ブログをやっているとその波に影響された話も星の数ほど見ることができる。
そんな中で20歳で出産するということに対して批判が生まれないわけがない。
ただでさえ「敷かれたレールの上を歩くのはもう嫌なので大学辞めて起業します。」と言っただけで炎上してしまうくらいだ。
いま君が「高校卒業後、大学行かずに結婚して出産します」というタイトルではてなブログあたりに記事を投下したらあっという間にはてブ100は超えるだろう。商法として素晴らしいが心が消耗するのでおすすめはしない。
でも無責任な奴らは何とでも言える。
だって無責任なんだから。そんなもの気にするな。
僕は20歳での出産をどう思っているか?
ハッキリ言って、良いとは思っていない。
金銭的なこともそうだし、体裁的なこともそうだし。将来に対して不安が有りすぎる。
「収入は?相手とずっといられる?親は?子供を育てられる?」などなど、
僕も一般的な意見と大差ないのかもしれない。考えることは皆同じだ。
だから僕は絶対に自分の彼女をそういう状況にしたくはないし、そうならないように全力で努力する。
しかし反面、「いいな」と思う僕がいることもまた事実だ。
羨ましい。20歳で良い相手と出会って、もう結婚までして、子供まで作った。なんて羨ましいことか。
いつか僕もそんな風に良い奥さんが出来て、結婚して、子供を作りたい。幸せな家庭を築いて休みの日には公園にピクニックでも行こうか。春にはお花見。夏には海。秋にはいろは坂辺りを車で行って紅葉狩りをしよう。冬にはそうだな…北海道の雪まつりでも行こうか。僕、まだかまくらに入ったことないからさ、あの中でお餅食べたいんだよね。
あれ?結局、僕も向かっているところ同じじゃん。
君の今の状況、僕は全力で向かってるよ。
ああなるほど、だから「羨ましい」のか。
先を越されたね。君の方が全然遠くに行ってた。僕よりめちゃくちゃ大人じゃん。
出産した本人はどう思っているか?
これは本人に聞かないとわからないけど、生憎そんな出産した直後の同級生に「ブログに書きたいから今の気持ち教えて~!(笑)」というLINEを送るほど僕は馬鹿じゃない。
たぶんだ、たぶん。あくまで推測。
君は幸せなんじゃないだろうか。
大好きな人と結婚して、生活し、子供を授かって、無事出産した。こんなに幸せなことはないじゃないか。苦楽を共にすると誓った相手もさぞ幸せであろう。
そして何より君は「この子を絶対守る。育て上げる。」という気持ちで溢れかえっているのではないだろうか。
その通りだ。産んだ責任というのは法的にもしっかり存在するし、母親になるというのはそういうことだ。
でも…不安じゃない?いや、不安に違いない。不安じゃなきゃおかしい。
だって人生で不安がない時なんてないでしょ。子供いない僕だって自分に子供が出来たことを想像するだけで不安になるもの。
「将来」「仕事」「収入」「生活」「死」「別れ」「出会い」「周りの反応」「子育て」「不登校」などなど…。
不安要素を挙げたらキリがない。ましてや君は僕のだいぶ先を歩いている。僕よりよっぽど色々見えているはずだ。
それでも産み、育てるか
でもそれを君は受け入れたんだ。
実際言葉で「私産みます」と言ったかどうかは知らないが、「産む」という行為によってそれを肯定している。
幸せになろう。産んだ子は責任を持って守り、育てよう。でもまだちょっと不安だな…。
君はそれを受け入れた。もう後戻りは出来ないぞ。
言い方は悪いが、もう手遅れだ。
君は幸せになってしまったんだ。子供を守って育てなきゃいけないし不安も抱えなきゃいけない。
どう?そんなの嫌?
たぶん今は幸せいっぱいで「不安なんてないわ!」っていう状態かもしれない。今はそれでいい。
でも人間ふとした瞬間、黒い何かが心を襲ってくるような時はないだろうか?
明るいように見えた自分の将来・未来はその黒い何かによって浸食されていき、やがて輝いていたどこまでも続く長い道はその跡形もなく暗い闇と同化してしまうのだ。
人はそれを心の闇とか言うが「闇=黒」というのは人間の勝手な想像であり、あくまでイメージカラーでしかない。色すらもわからない「何か」。得体も知れぬ「何か」が君の心を蝕んでくるような瞬間はないだろうか?
あるはずだ。「心の闇」という言葉が存在すること自体がそもそもその存在証明になっている。
じゃあそんな時、君はどうする?嫌になって投げ出す?
君は覚悟したはずだ。幸せになると。
ならば進め。そこに道があろうとなかろうと、進むんだ。
暗闇を目の前に奈落の底から吹き荒れる風に恐怖を感じて立ち止まっているときにも、お構いなしに時間は進んでいる。
子供は育つし、旦那は仕事から帰ってくる。そして何の気なしに、君の気持ちなんか露知らず「ただいま~今日も疲れたよ~お腹へった~」と夕飯を催促しくることだろう。
結局、立ち止まろうと立ち止まるまいと何も変わらないのだ。
ならば道を切り拓くために前に進むべきだ。一心不乱に子を育て、家事をして、はたまた仕事をしているかもしれないので仕事をして生きるべきだ。そっちの方がはるかに有意義だ。
ただ先を急ぎすぎるな。神が意図したか、人生は無駄に長い。
あまり頑張りすぎると色々消耗してしまう。
そして時には逃げちまえ。
さすがにこれは「幸せになる」覚悟の範囲外だと思ったらそれは投げ出せ。殴られるのなんて完全に範囲外だ。全力で逃げろ。
誰も攻めやしない。ドラクエで言えば「作戦」は常に「いのちだいじに」だ。
攻める奴がいたら「命大事にして何が悪い」と開き直ってしまえ。
最後に
こんなところで話題にしてしまって申し訳ない。
どうしても色々考えてしまってアウトプットしないと治まらなかった。許してくれ。
なぜ僕がこんなに考えたのか、おそらく同級生の当時少し君に気持ちがあったのかもしれない。
ただ今は、
「おめでとう。」
の一言に尽きる。
もしもう一言許してくれるなら、
「頑張れ。」
と言いたい。