ディベート嫌いになりました。終着点のない議論して何が面白いの?苦手な人だけが分かるメリット
大学に入ってディベート大会なるものを始めて体験しました。
現役理系大生のとととです。
どうですか?皆さん。
ディベートは好きですか?
目次
ディベートが好きかって?
まず最初に言っておきますが、
僕はディベートが大っ嫌いです!
(あースッキリ)
まあもっと詳しく言うと嫌いというか苦手ですね。
ディベート自体、大学に入って授業の一環として初めて体験したんですが、一発で分かりましたね。
「あっ、これ無理だわ」って(笑)
ディベートってそもそも何?
詳しい解説とか歴史はウィキペディアに投げるとして、
ディベート(debate)とは、ある公的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいう(広義のディベート)。討論(会)とも呼ばれている。
ディベートの多くは、現実社会に何らかの影響を与えることを目的としておこなわれる(実質的意味でのディベート)。政治の分野における典型的な例としては、米国での大統領候補討論会、日本や英国での党首討論がある。また、司法の分野における裁判も広義のディベートに含まれる。
簡単に言ってしまうと、
「終着点のない話を賛成と否定に分かれてどっちが正しいかで口喧嘩する」
ってこと。
根拠やら証拠やらをお互いに出し合って、相手の理論の穴を突き合うとかいう嫌らしい言い合いなんですよ。
一応ジャッジがいる
ディベートでは賛成と否定の他にジャッジというものがいます。
こいつは両方の言い分を聞いて、根拠に基づいて意見を精査し、どちらが勝利かを判断し説明する役目があります。
ぶっちゃけディベートでは賛成と否定で分かれて「終着点のない話」をするので、ジャッジはある種の区切りとでも言いましょうか……こいつが居ないと永遠に話が終わりません。
あくまで区切りなので絶対ではありません。割とテキトーです。
イメージとしては裁判官かな。
上でも書いてあるようにディベートは裁判を想像してもらえれば分かりやすいはずです。
ディベートはぶっちゃけクソ
ここまでの僕の書き方で何となく分かるかと思いますが、ディベートはクソです。
だって、
- 終着点の無い話をする
- 賛成・否定の口喧嘩
- ジャッジは割とテキトー
ですよ?
どう考えてもクソじゃないですか?
こんな仕組みで裁判やってると思うと世も末ですよ。
終わりの見えない話してて楽しいの?
「俺はこう考える!」「私はこう考える!」「俺の根拠はこれだ!」「私の根拠はこれだ!」
「さあどっち!?」
(エメマンバトルかよ……)
あぁ?楽しいかお前ら?そんなことやってて楽しいのか?
僕は楽しくない。
魅力があるほうで良いじゃん?
たぶん今回の僕のディベート嫌いは間違いないなんですよ。
あるじゃないですか。「苦手かも?」と思ったけど実は「得意だった」みたいなこと。
でも今回は絶対違う。100%僕はディベート嫌いです。
理由は簡単。
僕、賛成側でも否定側でも、ジャッジでも、
魅力のある方に惹かれてしまうから
なんですよ。
つまり感覚的に「え?こっちの方が断然面白いじゃん」って思ったら自分の立ち位置を考えずにそっち側の肩を持ってしまう。
もうね、こうなっちゃうとマジで議論とか無理!何にも考えられなくなっちゃいますからね!面白そうな意見のことだけしか考えちゃう!
で、そうなると「もうディベートとかしなくて良くない?」って思っちゃうんですよ。
経営者的な考え?研究者的な考え?
実際にやってみて思ったことで、ディベート好きって研究者向きなんじゃないかな?と。
根拠とか論理的思考とか裏付け(?)とか精査してる姿を見てるとそんな印象を受けました。(オタクキモいなって思ったのは内緒)
逆にディベートが嫌いな人は経営者向きなんじゃないかな?と。
別にこれは僕が経営に向いてるとか言いたいのではなく、あくまで論理とか吹っ飛ばして方向性をドーンと示すっていう勝手なイメージなんですけどね。(世の中的にはワンマンとも言う)
でも今まで会った経営者ってこんな感じの方が多かったので意外と正解なのかも……
ディベートは必要ではある
ここまでディベート嫌い嫌い言っててあれなんですが、必要ではあると思っているんですよね。
例えばアメリカの大統領選の候補者討論とか大統領を決めるのに重要な役目がありますし、裁判でディベート方式が採用されているところを見てもその必要性は明らかですから。
何も要らないと言ってるわけではありませんので。
嫌いなものは嫌い。苦手なものは苦手。
でもね?嫌いなんだよなー。無理なんだよなー。
もう拒否反応が出るレベルで苦手。
ディベートすると蕁麻疹が出る体質になってしまいました(冗談)
苦手が分かって良かった
ただ一つだけディベートを通して良かったことがありました。
それは「僕がディベートが苦手ということが分かった」ことです。
ただ嫌い嫌い言うのでは何も学びはありません。
大事なのは自分は何が得意で、何が不得意なのかを把握すること。
今回は自分の苦手が新しく発見出来たことを喜んでおくとしましょう。