20歳を超えたら泣いてはいけないのか?いいえ、笑うように泣きましょう。

      2016/12/07

nakiwarai

20歳になってから何回泣きました?

理由は何でもいいです。映画だったり、ドラマだったり、失恋だったり。

意外と数えられるくらいの人が多いのではないかと思います。

「泣きそうになった」まではあると思うんですけどそこから一歩先の「泣く」ってことになかなか進めない。

20歳を超えるとそこに何かカベがあるような気がしてなりません。

 

笑ったのは何回?

では、20歳以降で笑った回数って何回だかわかります?

これはおそらく数えられないほどだと思います。

愛想笑い、本気笑い、苦笑い…etc.

20歳過ぎるとたくさんの笑いがあっていちいち覚えてないですよね。

僕も先輩の話に合わせて笑ったり、お笑いを見て大爆笑したり…うーん、やっぱり数えきれないや。

 

「泣く」と「笑う」の対称性

悲しくて泣く、嬉し過ぎて泣く、痛くて泣く、ツラすぎて泣く…etc.

嬉しくて笑う、悲し過ぎて笑う、気持ちよくてつい笑みがこぼれる、楽すぎて思わず笑う…etc.

この対称性を見て「笑う」ことの逆は「泣く」こと、「泣く」ことの逆は「笑う」ことだと思いませんか?

単純に嬉しいからとか悲しいからだけじゃなく、こんなにも違うことが対照的に、鏡合わせのようになっているんです。

でもこんなにも鏡合わせなのに、感情から生じる同じ「行為」なのに、なぜ泣いた回数が数えられるほどしかないんでしょうか?

 

「笑う」ことは美しい、「泣く」ことは醜い(?)

20歳を過ぎると、上司のダジャレや、他人に対して愛想笑いや苦笑いが増えたりしませんか?でも、それって社会では「愛想のいいやつ・話を聞いてくれるやつ」と受け取られて、他人の目には肯定的にうつります。

それに対して泣くことって、例えば上司のハラスメント発言に対してだったり、飲んだくれてクダを巻きながらだったりして醜くて、汚いものっていうイメージがありませんか?世間では「情けないやつ・近づきたくないやつ」と言われて否定的に捉えられてしまう。

つまり、「笑う」ことは良くて「泣く」ことは悪いってイメージが出来ているんです。

これが泣いた回数が数えられるほどしかない理由です。

でもこれっておかしくないですか?社会からのイメージを気にしてあなたは泣かないんですか?社会からのイメージを良くするために笑うんですか?

それって一種の差別ではないでしょうか?

 

差別(さべつ)とは特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為である。国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」としている。[1]

引用:差別 – Wikipedia

笑うように泣こう

笑うことも泣くことも本来は同等です。感情が原因となる同じ「行為」です。

それなのに社会は泣くことだけを除外して、拒否している。こんなことは許されない。

「笑う」ことが肯定的、良いこと、あるいは美しいことだと言うのであれば当然、「泣く」ことも肯定的で、良いことで、さらには美しいことでなければなりません。

だから僕は声を大にして言いたい。

 

笑うように泣こう

 

笑うことと同じくらいの感覚で、頻度で、泣きましょうよ。

そしてその姿を見たあなたは泣いている人を美しいと思ってください。

 

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