【思想】通学偏重主義を不登校でもわかるように解説しよう。
僕が不登校から復活するときもまわりが脱・通学偏重主義だったから戻りやすかったですね~。
というわけで、もっと理解者を増やすべく、詳しく説明してみます。
目次
全然難しくないよ、通学偏重主義
通学偏重主義は特に不登校の子供の親に理解してほしいワード。
簡単に言ってしまえば、学校に通うことが一番重要と考えていることのことをいい、これを脱すると脱・通学偏重主義になるんです。
で、最近この通学偏重主義を脱することのほうが重要なんじゃない?という動きが出てきているわけですよ。
参考:確かに価値観の違う人間をまとめて育てようなんて…。荻上チキさん「問題は不登校ではなく通学偏重主義」
これを理解してるか、してないかで抱える負担に大きな差が出てくるんです。
まだ「自分に不登校なんて関係ないし」と思っている人でも今のうちから理解しておけば、いざその状況になったときに出来る対応に幅がでますからぜひ理解して欲しいですね。
通学偏重主義の特徴
1から10まであーだこーだ言ってると迷走しがちなので、シンプルに通学偏重主義の特徴をまとめてしまうと、
- 通学することにこだわる
- 学校に行かない奴はクズ扱いする
- 不登校を無理やり学校に行かせようとする
- 不登校に対する理解ができない
- 心に掛かる負担が大きい
通学することにこだわり、不登校みたいな学校に行かない奴はゴミクズ扱いする。
で、そうなったら無理矢理にでも学校に行かせようと引きずってでも連れて行こうとするわけです。
結果、不登校の気持ちが理解できず、心に負担がかかって育児放棄・自殺なんてことになる。
印象的に1960年代以降に最も多い考え方のような気がします。
ちょうど今中学生、高校生くらいの子供を持つ親かな?
この年代って社会人になりたてでバブル崩壊に直面してるので、安定とか手に職とかって言葉に敏感なんですよね。
だからかは知りませんが、やたらと学校に行くことに固執する。
僕の親もこの年代なので脱・通学偏重主義を理解してもらうまでかなり時間がかかりました…
通学偏重主義を考えるカギは学びのツールである
そもそも何で学校に固執するか?というと、勉強する場が学校しかないと考えているからなんですよ。
僕はこの勉強する場を『学びのツール』なんて呼び方をしていますが、実際問題、現代社会において学びのツールはたくさんあるのになぜかこの通学偏重主義の人達は「学校=学びのツール」と考えてしまいがち。
「これしかない!」と思い込んでいるんですよ。ハッキリ言って時代錯誤です。
対して脱・通学偏重主義はもっと幅を持った考え方をします。
具体的には学びのツールの種類を知っているのです。そしてそれを有効な手段だと認めているのです。
例えば、塾や家庭教師、通信教育といった学びのツール。
これらに対し、「そんなの効果があるのかわからない」「騙されないか怖い」「学校のほうがしっかりしているし安心」なんて思ってしまう人は通学偏重主義である可能性が高いです。
総じて通学偏重主義の人は無自覚にそうなっていることが多いので、「自分は違う!」と思っている人ほど固執してるんですよ。
通学偏重主義が不登校に直面すると…
学校しか学びのツールがないと考えている人が不登校に直面すると大変です。
例えて言うなら、綱渡りの綱がハサミでチョキンと切らることと同じです。
自分が最も信頼している頼みの綱が断たれてしまうわけですから。
そうなると当然、慌てますよね?
「ヤバい!死ぬ!」
「何とかしなきゃ!」
まさに藁にもすがる思いです。
で、ここで通学偏重主義の人は何を考えるかというと
「無理にでも学校に行かせなきゃ!」ということ。
こうなった通学偏重主義は手に負えません。
もう凝り固まった考えがダイヤモンドより硬くなるわけですから、あらゆる外界からの力も受け付けないんですよ。
「落ち着け」といっても聞かないし、「大丈夫」なんて言っちゃうと火に油を注ぐように「何が大丈夫なの!?」と逆ギレしてきます。
脱・通学偏重主義が不登校に直面すると…
反対に脱・通学偏重主義が不登校に直面すると、逆ギレではなく別の道を模索するのです。
学校が合わないなら、「じゃあ通信教育に…」「家庭教師に頼もう」といった具合に別の学びのツールを出してくれる。
こうなると不登校も復活しやすというものです。
勉強は追いつけるし、あと気になるのは周りの目くらい。
もし復学できなかたっとしても勉強だけは出来るわけですから、最終的に大検でも受けて好きな職業につけます。
その子供に合わせた学びのスタイルも確立できて、学びが加速しますから学校に通うよりも学業が伸びる可能性すらあるわけです。
通学偏重主義と脱・通学偏重主義とでは「心のゆとり」が違う。
たとえ不登校に直面していなくても脱・通学偏重主義はプラスの効果をもたらします。
「別に学校なんか通わなくても」と考えることはそもそも「心のゆとり」が大きい。
一本の矢でダメでも三本の矢をまとめれば折れにくいというのと同じです。
反対に通学偏綬主義は一本の矢しか持っていないわけですから「心のゆとり」は非常に小さい。
どんなに信頼していても矢は矢ですから、あっさり折れてしまいますよね?
- 通学偏重主義:心のゆとりが小さい
- 脱・通学偏重主義:心のゆとりが大きい
心のゆとりがあるだけで生活は一変する。
そろそろ理解してもらえましたかね?
ようは脱・通学偏重主義になりましょう!ということです。
そうなれば心のゆとりができますし、いざというときに二の矢・三の矢を打つことが出来るのです。
リスクヘッジはしておくべきですよ。
例え仕事でも恋愛でも教育でもありとあらゆる部分で起こり得ることを予測して、それに対応できる準備は必要です。
「絶対にありえない」ということほど起こるんですから。
不登校が社会に不適合なのではない。社会が不登校に適合していないのだ。
ここからは僕の自論ですが、不登校って社会不適合者みたいに思われがちですけど実際は違うんじゃないかな?と思うんです。
だってそもそも、人が社会を作るんですから当然その社会づくりに不登校も貢献しているはずなんですよ。
当然そこには不登校がいることが当たり前の社会が成立してなきゃいけないわけですけど、残念ながら現実は成り立っていないのが現状です。
つまり、不適合なのは社会のほうであって、遅れているのは人間の考え方のほうなんですよ。
だから通学偏重主義なんて時代錯誤もいいところなんです。
学校に行ってもお金の稼ぎ方は教えてくれないし、実際やらされるのは生きるのとは無関係な勉強ばかり。
いっそ生きるために学ぶのであればプログラミングスクールにでも言ってプログラミングを身につけ、適当に就職すればいい話です。
ITなんて人手不足で実力さえあればどこでも雇ってもらえますし、最悪フリーでも今はクラウドソーシングなんてものもありますからお金に困ることはありません。
とっとと脱・通学偏重主義になって生き生きと暮らしたほうが幸せですよ!
学びのツールが信じられないならばどうすれば良いか?
今回挙げた学びのツールは学校・塾・家庭教師・通信教育の4つだけでしたが、それらが信じられないという人も多いはず。
でもそれは中身を知らないからでは?
どういう仕組みでどうやって身につけさせるか?身をもって体験しましたか?
今はネットのおかげで便利な時代になりまして、通信教育なんかもすべてネット。
例えばすららなんてネットで無料体験できますし、家庭教師も最初の一、二回は無料で授業をやってくれたりします。
もっと言えば英語教育なんかはインターネット電話で本物の外国人と話すこともできますし、わざわざ外に出なくても義務教育の内容くらいなら手軽に教えてくれるのです。
大事なのは知っているか知ってないか。
「知らないのは罪だ」なんてよく言いますが、本当にそうなんですよ。
一番ダメなのは知りもしないで始めから拒否してしまうこと。
そこが古臭いクソジジイ・クソババアになるかならないかの違いなんですよ。